
2024年8月4日時点。
パリオリンピックも終盤に差し掛かろうという状態です。
選手ならびに監督等の各指導者の皆さんのご活躍にはいち観戦者として元気を頂いている日々でして、感謝しかありません。
しかし残念ながら、同時にスポーツ観戦者の質が低くなってきたというか、質の低さが可視化されるようになったというか。
そんな事を痛感しているこのところです。
きっかけは誤審やフェアとは言い難いプレー等理由は様々なのだけど、言語的なノイズがあまりに目立ってきた。
オリンピックという特別な場だから・・・というわけでもなさそうなのは、普段から野球ファン、サッカーファンが起こすトラブルの報道を見ていれば分かる。
勝って嬉しいのも負けて悔しいのも、当の選手が最もなハズなのだけど、誤審が起きれば、審判、条件が有利となった選手当人に、アンフェアなプレーに対してもやはり選手本人に、SNS等を通じての個人攻撃が相も変わらず起きている。
母国の選手を応援したい気持ちが行き過ぎて、もあると思うし、これを機にSNSで何者かになろうという下卑た人間もいるだろう。
良かったね。バズって。
敗戦に傷ついた選手の心を踏み台に、一躍有名になった気分はどうなんだい?
ところで、相手選手に負けを認めろ、とか、審判に誤審を認めろと、おかしな正義感をかざして、ネットで言い続けている人が今こうしている間にもいるだろう。
この人たちって何が目的でやってるのだろうか。
結果を変えたいのか?そんな事が本当に実現できると思っているのだろうか?
20数年前にも誤審騒ぎでネットが騒然となったが、誤審の被害と言われた人物はその後判定が覆っただろうか?
むしろネット言説によって判定が覆る前例はあってはならないと、例えば、地方で行われる小規模な大会ですらそうなるのではないだろうか。
(小規模故にネットで炎上する事もなさそうな気はするが)
報道に出てこないだけかもしれないけど、ルールを決めている各機関へ抗議が殺到しているとか、そういう情報が出てこない方も気になる。
判定に対する抗議等は本来こちらに批判が集まるべきはずなのに、選手、審判個人に批判が集まっている報道ばかりだ。
つまり、批難している人間も、心から事態を改善しようと思ってなどいない。
単に言いやすい相手に、自分の気持ちをぶつけているに過ぎない。
やってる人間の気持ちがどうかは知らないが、結果はそうにしかなっていない。
判定は覆らないし、勝者が敗者になる事は無い。
単純に自分がスッキリしたいだけなのだ。
この結果をもってしても、なおも自分の感情を相手にぶつける事をやめられない人達には、もちろん全員ではないものの、多くにある種共通する事がある。
認知が歪んでいるのだ。
早く気づけ。
極端な話、とあるアニメーション会社に放火した犯人に近い考え方をしている事に一刻も早く気づいて欲しいなと※、つい先月まで関わっていた仕事上の経験から、毎回起きるスポーツの祭典で起きる残念な現象に、思いを馳せずにはいられない。
※犯人は精神疾患を診断されているようだが、罹患したからではおそらくない。認知が歪んでいるから精神を病んだのだろう。
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