少し前、とあるSNSのタイムラインでこんな話が流れてきた。
ある夫婦の会話。
投稿主は旦那さん。
奥様にこう言われたそうだ。
「トイレットペーパー、なくなったらちゃんと交換して」
怒られてからは、きっちり“なくなったら”交換するようになったという。
ところがある日、再び怒られる。
「交換してくれない」
どういうことか。
どうやら奥様が求めていたのは、
「紙が完全になくなってからの交換」ではなかったらしい。
奥様が使うタイミングで、
紙が“なくならない状態”にしておいてほしい。
つまり――
「自分が最後の一巻きを使う人」になるな、ということだ。
投稿の結末は追っていないので真相は分からない。
けれど、この話を読んだ瞬間、私はある人物の顔を思い浮かべた。
息子である。
兄という前例
少し昔の話をしよう。
私には2歳上の兄がいる。
兄はなかなか豪快な性格だった。よく言えば。
・最後に食べたお菓子の箱をそのまま棚に戻す
・冷蔵庫に空の容器をしまう
・トイレットペーパーは芯だけ残す
お菓子があると思って取り出したら空箱だったときの、あのやるせなさ。
食べ物の恨みは、深い。
当時の私は固く誓ったものだ。
「自分はやらない」と。
そして血は巡る
時は流れ、結婚し、子どもが生まれた。
息子が成長し、家のお菓子を一人で平らげる年頃になる。
そして――
空箱が棚に戻る。
デジャヴである。
血筋か?
いや、父も母もそんなことはしない。
男子特有の現象なのか。
それとも私は兄を見て育ったから“やらない側”に回っただけなのか。
正直に言えば、私の中にもある。
「これが最後の一個か……」
そのとき
“面倒くさい”が勝つか、
幼少期から聞き続けた母のぼやきが勝つか。
その差だけなのだ。
指導の副作用
ある日、私は息子を現場に連行した。
「最後の一つ食べたなら、袋を捨てろ」
ごもっともである。
以来、どうなったか。
彼は学んだ。
最後の一つを食べなければいい。
我が家ではよく、こんな光景が見られる。
・お菓子が残り一つ
・果物が残りわずか
・ティッシュがあと少し
・ウェットティッシュも残量僅少
絶妙に“終わらない”。
彼は交換しない。
終わらせないからだ。
二連ホルダーの攻防
我が家のトイレにはペーパーホルダーが二つある。
息子はおそらく、残量の多い方しか使わない。
両方少なかったら?
不思議なことに、両方芯だけ、という状況にはならない。
たぶんギリギリのところで誰かが交換している。
誰かとは、私だ。
私が使うトイレにはごみ箱がない。
芯は私が自室へ持ち帰る。
家のごみ出し担当も私である。
状況証拠はそろっている。
彼は実にうまく、
面倒ごとから距離を保ち続けている。
十数年。
トイレットペーパー交換から逃げ続ける男。
それが、うちの息子だ。
そして冒頭のSNSへ戻る
あの旦那さんも、もしかしたら同じタイプではないだろうか。
「なくなったら替えてる」
それは事実。
でも、求められているのはそこではない。
“最後の人にならないこと”
“誰かにやらせないこと”
SNSでは旦那の愚痴アカウントがあふれているとも聞く。
似たような攻防は、日本中のトイレで繰り広げられているのだろう。
会社のトイレでもよく見る。
二つホルダーがあるのに、片方が芯のまま放置されている光景。
あれもきっと、
誰かが「最後の人」になるのを避けた結果だ。
仕事ができる・できない問題
正直なところ、私は強く言えない。
「こんなこともできないやつは仕事もできないぞ」と。
なぜなら――
いそいそとペーパーを交換している私が、
バリバリ仕事ができているかは、また別問題だからだ。
うーん。
トイレットペーパーは交換できる。
だが人生は、なかなかうまく交換できない。
そんなことを考えながら、
今日も私は芯を自室へ持ち帰る。
そしてきっと明日も、
トイレットペーパー交換から逃げ続ける男と共に暮らしている。
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